2007年 04月 22日
本場黄八丈会館オープン祝賀会で、黄八丈織物協同組合の組合員(織り手さん) たちの着物姿を楽しませていただきました。 最高齢は85歳 最年少は29歳 写真は個人が特定できないように 小さくしましたが…。 大丈夫かな。 追録 読みかじりですが、江戸時代には八丈絹とか、八丈織と呼ばれていたそうです。 織物の丈は、反物(四丈)になる前は疋物(八丈=二反分)だったそうで、 八丈絹はその総称とのこと。そういえば、江戸中期に漢学者の高橋与市が故郷・ 八丈島のことを書いた「舊昔綜嶼噺話」には、八丈絹は『八丈を以て一疋となす。 今は四丈を以て一反となす』とあります。 「黄八丈」がいつの頃から八丈島で織り出されるようになったのかは 定かではありませんが、八丈絹(一疋)が一般的だった時代から産出されていた ということなのでしょうか。 都総務局文書課が昭和25年に発行した「江戸時代の八丈島」に、上杉管領 (室町時代)の貢絹の印があったと記されています。不定期だったかもしれませんが、 八丈島から絹織物が幕府へ納められていたようです。 室町時代の1338年に、伊豆諸島は関東管領に統治され、 八丈島には上杉憲顕の家臣の奥山伊賀と菊池治五郎が派遣されています。 これは在島代官の最初です。 戦国時代の1490年には、北条早雲が家臣の朝日奈を遣わして、 島民と貢絹の約束をしています。 八丈島の歴史は、絹織物を抜きにして語ることはできないんですね。 「江戸時代の八丈島」には、『享保頃までは無地か横縞の黄八丈のみで、 縦縞や格子縞ができたのは徳川の中期になってからであると言う』と 書いてあります。どの文献を参考にしたのかはわかりません。 柄見本帳の写真はそのうち、年代を確認してからアップすることにします。 ちょっと自信がなくなりました。(汗) 追記:今日(5/10)、歴史民俗資料館に展示されている永鑑帳を確認できました。 160年前の弘化4年のものが一番古く、あとは明治時代のものでした。
by some-times
| 2007-04-22 00:07
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